お茶壺道中
10万石の格式
江戸時代、徳川将軍家に献上する宇治茶(碾茶)を茶壺に入れて江戸まで運んだ行事。三代将軍の家光により制度化され、1867年(慶応3年)に江戸幕府が幕を閉じるまで、約240年もの間続いたとされています。
将軍家で使用するお茶と幕府が朝廷に献上するためのお茶を運ぶこの一行は、幕府の権威を示すものであり、最盛期には数十個から百以上の茶壺を運ぶ数百人を超える大行列となりました。大名行列も道を譲るほど格式高く恐れ多いものだったということです。
日本茶文化の今につながる大プロジェクト
お茶壺道中は単に茶壺を持って移動するだけでなく、最高級のお茶を将軍に献上するため特別な対応がとられていました。江戸の暑い夏を避けるための保管期間や、味や香りを引き出すための熟成期間を含めると、半年以上にも及ぶ一大イベントだったのです。
・幕府から派遣された採茶使一行が、5月末までに名立たる茶壺を携えて東海道から宇治へ向かう。
・厳重な管理と茶頭取に任命された総責任者・上林家(「綾鷹」でお馴染みの上林春松本店の家系)の指揮の下、茶詰めを行う。
・宇治に到着してから20日ほど後、帰りは中山道や甲州街道を経て江戸へ向かう。東海道の潮風によるお茶の変質を避けるためだったと言われている。
【保管期間】
江戸へ帰る途中、夏の湿気や暑さを避けるために甲斐国谷村(現在の山梨県都留市)の勝山城に3か月ほど置き、再び行列を組んで江戸へ戻りました。
【熟成期間】
宇治から運んだ碾茶は、熟成期間を経て毎年11月頃(旧暦10月)に「口切りの儀」という茶事で初めて茶壺の封を切り、臼で挽いて抹茶となります。
厳粛な雰囲気のお茶壺道中は、大名であっても道を譲らなくてはならない格式高いもの。当然庶民にとっても大きな負担となっていました。
茶壺が通る道は清掃を命じられ、行列が通る間は顔を上げることを許されず、農作業なども禁じられていたとのこと。無事にお茶壺が納入されるまでは、新茶の売買も禁止されていたそうです。
わらべ歌「ずいずいずっころばし」
「ずいずいずっころばし ごまみそずい♪」というわらべ歌をご存じでしょうか。
私が子供の頃、何度も歌った手遊び歌です。友達と楽しく遊んだ良い思い出ですが、歌詞の意味は全く分かりませんでした。
人々から恐れられていたお茶壺道中。この歌は、その様子を風刺した内容とも言われています。
ずいずいずっころばし ごまみそずい
茶壺に追われて とっぴんしゃん
抜けたら どんどこしょ
俵のねずみが 米食ってちゅう ちゅうちゅうちゅう
おっとさんが呼んでも おっかさんが呼んでも 行きっこなぁしよ
井戸のまわりで お茶碗欠いたの だぁれ
全体的には、「お茶壺を運ぶ行列が近づいてきたから戸をピシャッと閉めて家にこもり、行列が抜けて行ってしまえばやれやれ、落ち着いた」という解釈がされているようです。
他の部分は、「『ずい』は、茶壺を担ぐ棒のことである」、「静かにこもっている間はどこからか入り込んだねずみが米を食べている音だけが鳴り響いている」、「行列が行ってしまったことに安心してお茶碗を割ってしまった」などなど、諸説あるようです。